2013.02.06
外来で経験しますが、ネットや知人の個人的経験からの情報を基に、お子さんの病気の治療方針を決めておられる方がおられます。そんな時、専門家としての権威を振り回すつもりはありませんが、「もう少し専門家の意見を聞いてから最終判断をしたら」と申し上げたくなります。 知人からの情報A、専門家からの情報B、2つの情報があった時、一見A,B二つの情報として50:50と思えても一つの情報を支えるその裏にある膨大な情報、結論に至るまでの論理の重さは違うと考えています。
読売新聞25年1/5より抜粋:「プロ軽視の大衆社会」の一節です。「民意(世論)」「消費者(お客様)」の意向が最優先される中で、プロの矜持が揺らいでいる。例えば医療。医師が治療の選択枝を矢継ぎ早に患者に示して、判断を患者自身に丸投げするケースが目立っている。医師のプロフェッショナリズムの在り方を研究している東京医療センターの尾藤誠司臨床研修科医長らはこうした「患者(に:注)丸投げ」の事例を「患者の権利を尊重しているように見せてその実、医師の免責にすり替わっている」とプロの責任放棄を深刻視する。人々が専門家よりインタ-ネットの口コミをより信頼する。真偽も責任の所在も不明な言説が影響力を持つ。そんな状況が、社会の思考力を奪っていく。」
同感です。以下は昨年10/2の健やか通信です。「不十分な知識情報と不完全な論理また素人的直感で物事(育児の問題等)を判断すると、その結論は時に暴力的になることがあります。最終判断は保護者がしなければなりませんが、判らない点等があれば、結論を出す前に遠慮なくお聞き下さい。」注)小國が(に)追加